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”21世紀はアクエリアスの時代なのかぁ” 2003.12.30

どうやら21世紀は「水の時代」らしい。20世紀は「火の時代」で、大量のエネルギーを生産するために火を燃やし続けてきた時代でした。しかし、大量生産、大量消費は僕たちの生活を豊かなものにした反面、他の生物や自然を犠牲にして、少し地球のバランスが崩れてしまったようですね。それでも僕は「人間はどんどん豊かになっていけるもの」いや、言い方を変えれば「豊かさを深く感じていけるもの」だと思っています。

 で、いきなり「水の時代」って言われてもなぁ…ってなもんですが、そこは人間、いろいろな人がいて、いろんな研究がされているんですね。「なるホドなぁ〜」と思える本が出版されているので紹介したいと思います。

 それは江本勝さんの書かれた『水の真力』(講談社)です。「ありがとう」「バカヤロ〜」の水の結晶の写真を撮り、研究し続けている方で、以前「DAるまん」でも紹介させていただきました。「ありがとう、ありがとう」と食材に声をかけながら料理をするとおそばやおばん菜がおいしくなってしまうのが、だる満でも今や常識になり、「言霊」「音霊」の力を感じられずにはいられないのですが、今回紹介するこの本の中にも、いろんな言葉や音楽を聴かせた水の結晶の写真がたくさん載っています。料理も身体もほとんどが水分ですから、いかに言葉や音の影響をバッチシ受けているかが、写真を見るととてもよくわかります。

 で、今回のこの本が面白いのは、言葉や音は「空気の振動」つまり、波・波長である事の説明に始まり、あらゆる種類の波長の研究、測定がどんどん進んできているということです。物理学のミクロの世界では「分子・原子は常に振動しており、それぞれ固有の振動のスピードがある」そうで、その固有のスピードは「周波数」とよばれ、周波数が下がってしまうと、人間だったら病気になったり、物だったら良くない状態になっているという訳です。

 人間や物から出る波長を「波動」と言うのですが、その数値も測定してみると、波動の数値の高いものと低いものがあるんだそうです。食べ物でいうと、「野菜や種子(ナッツ類)は波動が高く、肉類などはそれほど高くない」などです。

 また牛肉の波動は、21点満点として「免疫に対する波動+17」「ストレスに対する波動+15」「抑うつに対する波動-12」となっているそうです。へぇ〜。

 で、他にも面白い実験が載っています。例えば人気のある家庭料理の代表といえば「ハンバーグ」。手作りのハンバーグは、数値が+10、対してレトルトハンバーグは-4。さらに、「おいしそう!」「いい香り!」などの愛情の言葉をかけて作ったハンバーグの数値は+16に上がり、「疲れてんのに!」「面倒くさい!」などの怒りをぶつけられたハンバーグは-6に数値が下がっているんです。つい無意識に出てしまう言葉は、相手に対してものすごく影響を与えてしまうものなんですねぇ。

 ここ最近、私たちの目には見えない現象が、こうして水の結晶の写真としてカタチを見せてくれたり、数値として測定されたりしています。そんな情報を目の当たりにして感じることは「なんや、今まで皆が素朴に感じてきたことは結構そのまんまそのとおりなんや」ということ。昔から大切にされて、人が人としてそれぞれ感じていた「素朴な気持ちよさ」や「良心」と言うものが今、この時代に再びカタチになって現れてきてくれたんだと…。

 21世紀も新年を迎えて5年目。人はこれから「ありがとう」の原点に戻って、大きく飛躍するのかもしれませんね。     

”いや〜ほんま、よう寝ましたわ” 2003.10.30

突然の高熱と全身のシビレで体が言う事をきかなくなったのは、八月二十三日のことでしたっけ。

 救急病院に倒れこんで処置を受け、検査をすると、内臓器官は問題なし。ただ異常な炎症値、「ウィルス感染によるカゼ」ということで「まぁ、二、三週間は我慢ですね」との先生の言葉に、内心「えっ…!?マジ!?」と思った私ですが、結局は一か月以上も寝込んでしまいました。気を張っていた体は過労状態にあったらしく、そういう時にウィルス感染したりすると、免疫力が落ちているために次々と病気を併発するらしく、私は前立腺炎まで起こしてしまいました(ここだけの話…この診察だけは…ツライもんがあります…人間、慣れますけどね)。それにしても死んだように眠りこけていました。朝かな?と気がつくと夕方だった、なんてことが何日も続きました。そして気がつくたびに頭からの大量の汗でぐっしょり。滝のようにどんどん汗をかきながら実にこれが不思議な癒し感を伴ってきます。汗とともに頭の中が「からっぽ」に抜けていくような気持ちが…、と同時に胸に不思議な安堵感を覚えるようになってきました なんというか、今回の病気の意味を感じるような。

 何かが頭に一杯詰まっていたんですね…。その掃除の期間だったようです。率直に言って、「人間は自然の一部やなぁ」って思いましたよ。今回の体験は、まさに自分が「『自然の浄化作用の法則』に組み込まれている〜って感じ」でした。汗をかきかきしながら…。

「頭の中に詰まってたのは、『自分勝手な思い込みのようなもの』なんや」と気づきましたね。もともと音楽の仕事をしていた私は、かなり「天然」でした。そんな自分が、三年前からこの「だる満」で本格的に「商い」を学び始めるうち、それまで全く無頓着だった数字や計画性上昇志向が気になり、自分をもっともらしいビジネスモードに常に入れようとするようになり、過去の自分の性格や音楽作品までも「あんなものはダメだな」と否定していたのです。まるで必死ですわ…。師匠がよく「おきちゃん、まじめは君のエゴなんやで」と言っていたことの意味が今頃になって分かりました。私は、自分の中の「まじめ」によって、商いの仕組みの中にある本質的な意味に気付けず、形骸化したしくみにとらわれてしまったようです。「こうしなければ…」と。人間の思っている「まじめさ」というのは意外と反自然的なものなのかもしれませんね。

 今回、汗をかきながら「自然の浄化作用(笑)」を経て、「おぉ、自然に生かされて生きている」、そういう実感から謙虚さと生きる勇気を何となく感じました。愚かな自分ではあるけれど、それさえも嬉しく感じた瞬間もありました。今までの経験は全て意味があるんですよね。

 私の体も、まるでお湯通しされたゆで卵のようにプルンとむけた…そんな感じで、お店の中を走り回っている今、何か新鮮な感じがするのです。

 一見、人の幸、不幸を判断するのは難しいものです。生きていく上で起こるさまざまな出来事にどんな意味があるのかは、実は一人ひとりの心の本質にしか分からない場合が多いからです。人は誰でも、いろいろな経験をしながら、自分にとってより深い歓びを見つける冒険旅行の途中なのかもしれませんね。     

”プリティー2003.7.17



タクシー運転手さんの宴会にて。“大声”を出してみんなにこっちを向いてもらってカシャ。
まるでシャッターを押している僕が、ミニスカのお姉さんであるかの様な、運転手さんの笑顔。
「なんて...プリティーなんだ!!」と おっちゃんの笑顔を見て思う僕は一体・・・。
というより 真ん中でスタッフの山下さん、なんで笑てんねん!!「皿はよ下げて!!」いうてるやん いつも・・・。

”ミスキャット” 2003.6.16

↑“冒険中”である

数ヶ月ぶりのスーパー銭湯。すっかりいい気持ちで車に乗り込み、パーキングを出て車を走らせ、一つ目の角でブレーキを踏んだ。動きの鈍いネズミかと思ってよく見ると仔猫だ。まだ走れないほど小さい。「あらら…」と思い、ハザードを点滅させて車を降り、後続の車を整理してから改めて見ると姿がない…。なんと僕の車のタイヤの前に隠れている。すぐ横に堤防があるのでそこで放そうと抱いて運んでやる。「すぐ車にひかれるかな」と思いながら足元に置くと、ミーミーないて僕の麻のズボンを登ってくるではないか。本来、動物はあまり得意ではない僕(特に猫は!!)が。友達に引き取り手を捜したが、もうダメ!! ”どうする?アイフル〜!”状態。彼女の運命を変えてしまうのではないかと迷いながらも、その仔猫をメーターパネルにちょこっ…と置いて車を出した。Telしている内に一人引き取り手が見つかったので、そこまでドライブ。しばらく走って突然口を開けたかと思うと”ヴァ〜ッ”とゲロを出した。あら〜っ!猫って車酔いするのね〜っ」と感心するも、そのゲロはきれいにステアリングの付け根のすき間へ流れ込んでいってしまった。…アンテナにくくりつけてやろうかとも思ったが、そこは仏のココロで、友達宅まで楽しくドライブすることにした。預けた家でも数回ゲロした彼女はすっかり気分を良くしてはしゃいでいるらしいが、まさかこんなことになるとは…。もう、車を整備入院させて解体してきれいにしてもらうしかない。すると、ちょうど車検が来ているじゃないか。すばらしいタイミングだ。僕はだいぶ大人になったと思っていたが、どんな生き物でも、きれいな部分と汚れの部分があると改めて思い知った。ペットを飼える人は心が広いと思う。

”ワンマンカーと僕” 2003.6.9


↑列車の最後尾の窓から景色を楽しみながら“カシャッ”

ずっと行きたかった。念願かなってローカル線各駅停車の旅に出た。定休日、用事を済ませて次の予定まで6時間。「今や!」とばかりに12時過ぎ二条駅から山陰線に飛び乗った。二条〜綾部〜舞鶴〜敦賀〜京都で一周6時間ピッタシ。一応生真面目な僕は、時刻表(とビールとおにぎり)を片手に。まさか全線電化されているとは知らずショックだったが(ディーゼルのトロさとノイズにいやされたかったから…)、それでも北へ列車が進むにつれ、乗客は減り、眺めは山々の重なり、谷のある美しい風景、トンネルを出てすぐ鉄橋と深い緑にすっかりうっとりとなった。特にすばらしいのは、わずかな数の家が見え、果たして一日ほんの数人が利用するであろうが為に存在する駅のたたずまい。雨や陽にさらされ、朽ちたコンクリートやアスファルトの質感と隙間に生えている雑草。廃線のホームとは何かが違うユル〜イ機能を静かに喜んでいるような枯れた存在美がたまらない。途中下車してホームに寝転んでいたかったが、時間がないので我慢した。ちなみに、綾部という特急列車も停車するホームも2本ある駅で舞鶴方向に乗り換える。乗り換え時間は2分。階段をあがって、2両のワンマンカー(車掌がいない)。一旦車両に乗って荷物も置いたが、空き缶を捨てたくなったので、ベルも鳴ってないし、ホームのゴミ箱に捨てに行った。そしたらナント、ベルも案内も無しに突然「プシュー」っとドア閉めの音が。「あぁっ」トンで行ってしまりかけのドアを両手でこじ開け、なんとか体をすり込ませて反転させたら足が…挟まれた。最後の力を振り絞り、足を引き抜きながら「やばい…」これでドア閉めの点検うんぬんで、僕のせいで発車が遅れるかも!?足を抜くまで約10秒ぐらいか。そんな焦った気分で2両先の運転席を見ると、半身を45度傾け「アレ!?ドア閉めのランプがきえないなぁ」ってな運転手の後姿だ。「エイ!」と足を引き抜くと「プシュー」何事もなかったように列車は発車した。ホームに駅員もおらず、乗客もなし。気づかれずに良かった様な、悲しいような…。とにかくローカル線のワンマンカーの秩序には気をつけなければならない。

”機能美と存在美” 2003.5.23

使いやすさや合理性、その”モノ”の目的を極める方向の美しさ、“機能美”。服でもモノでもクルマでも、あるいは人でも対象のその存在の“目的”とか“意義”を限定しなくてもいいぐらいの”美しさ”を堂々と語り合える、感じ合える関係が楽しくて好きです。極まった機能美としての存在美。そしてまた一見、常識では“役立たず”の存在美。実は自分たちは無知なので”人間の為のモノ”以外の存在美を感じてオモシロがる事には自由でありたいとふと思ったりします。

←お寺でサッと撮ったお香の台。「もしこれが高さ50メートルだとムチャかっこいい」の視点の図

”自然素材” 2003.5.18

DAるまん今月号の”自然素材はいのちのよみがえり”で紹介した東広島に来てます。今日は高前のおばちゃんに「葉玉ねぎ」をもらった。玉ねぎがそれほど大きくならず、上にビィーンと伸びた葉も一緒に食べるヤツです。おばちゃんは薬も何もかけないし、土の状態にはとても手をかけこだわってるそう。やわらかな土からいきのいいネギをボソッ…ボソッ…と抜いていくと「あぁ、生き物やなぁと実感する。ただウマそうでもあるし、ネギだけなのにこれだけあれば…という充足感が伝わってくる。市場ではなかなか伝わってこない自然の感触だ。今週はこれを砂糖しょうゆで炒めたものなんかを出します。感謝。

←たまねぎを持った高前のおばちゃん

”神酒造 いも神” 2003.5.17


↑メインラベルの上の“神”ロゴが超ポップ

名酒祭りが楽しい。酒好きの人と飲み比べて印象を語ったりしていると、みなさん開放された気分で、ここぞとばかりに“感性語”(感じたままを自由に言葉に置き換えて)を使っておいしさを伝えてくれる。それぞれ各種あまりにウマいので、ついつい興味がのって情報が入ると“裏メニュー”もどんどん増えている。
こないだ僕の師匠んとこから何気に入っていた一枚のFAX。「神酒造」“南薩摩の黄金干貫という糖度の高い芋を使った農耕でコクのある味わい”、なにより神酒造という神々しい名前。早速プロに尋ねてみると「神酒造は、いい〜酒蔵でしてね」と来た。期待が高まる。仕入れたいも神を味わう。まるで顔を撫で上げられる様に上へと向かう芋の甘い香り。一口含むとまるで刀で上下にスパッと封印を解かれたかのように上へ突き抜ける透明な味。飲み比べると明らかにわかるキャラクター。これは神の味か、とウットリしてしまった。

”雨の日のブルー” 2003.5.15

今朝も雨だった。朝が雨だといつも出かける前にちょっとした楽しみがある。それはキレイなブルーの服を選んで着ること。
「雨の日はゆううつなので、赤い服を着て自分もまわりも気分を明るくしたい」僕はこういうオシャレは雨の日の2日目、3日目でないとできないタイプだ。
雨の日の空気だからこそ心地よく見えてくるブルーを着て、雨や水を楽しむ。ちょっとしたお祝い気分なんだ。

”新和風ハンバーグカレー” 2003.5.12

 

3日がかりでカレーを仕込んだ。新和風カレー。実は野菜たっぷり(おもにセロリ、人参)フルーツたっぷり(おもにリンゴ、バナナ)。ミルしたスパイスを入れて、完成直前は結構ハードなエスニックカレースープ状態。
これに、今雑貨屋なんかでも目にする”某レトロカレールゥ”を入れて”ニッポン”風に仕上げてしまう。今回は野菜もフルーツも倍入っている(ここだけの話少し入れ過ぎたと思っている)。裏ごしせずにサラッとした食感を残した。これに最近登場しただる満の人気一品料理「野菜たっぷりレンコンハンバーグ(¥650オススメ!)
”このページをみた!”といって注文していただいたお客さまに「ハンバーグ2個つき 新和風カレーライス ¥1280」(5月末日まで)でお出しします。ボリュームありますが、実はとても健康的カレーです。

”気・2” 2003.5.10

 


↑なんでそんなポーズなん?

初対面なのに何故かその人に対して開放した気分になれる時、そうでない時ってありませんか?サーヴィスマンにとって、人を安心させ、開放させる第一印象としてその人の不思議な”気”や”オーラ”は大きな魅力となります。
例えば、オモシロイゲームがあるのですが、だる満では平安神宮の前でビラを配ったりします。僕の場合、たまに走っていってビラを渡したり、人を前にするとつい笑っちゃうタイプですが、ビラの反応はイマイチです。
そこで再登場のスタッフ”西村さん”ですが(Back Numberで詳細を)彼女は渡したビラの3割以上の人数が来店したりします…スゴイことです。アンケートにも「無愛想でもしつこくもなく、いい感じの客引きに…」なんて書いてある。あるお客さまは「手招きされてね…」と笑顔で僕に話す。…「手招き…マジ!?ビラ配りで…マジかあのオバさん…」と内心思った。
実は朝ミーティングで「初心に返ってフットワーク軽くしてこうぜ。長身の西村さんにはピーターパンみたいに飛び跳ねろとはいわんけどね」なとジェスチャー付きで話した矢先…彼女はビラ配りで”手招き”をしていた。…ちょっと諦めた。
確かに”サーヴィス”とは”何かの為、誰かの為”にやる事ではないのかもしれない。人と人との自然な姿だとは思う。しかしながらキミ、「実は学生時代、新体操してました」言うとったやん!!(笑)。

自然素材のバランス 2003.5.3

 

「たかだか100年の栄養学ということをまず知ってくれ」と栄養学の先生は繰り返し言っていた。にんじんにはβカロテンが豊富でビタミンCと云々…。これは現代の”分析する機械の性能”の段階で判明した栄養素の世界。自然の野菜にはまだまだ見えてこない未知の栄養素があり、僕らの今知っている栄養素とそれらの深いバランスの上に成り立っている世界があるだろうと。
今知っていることなんてほんの一部なんだろう。自然の世界のほんの一部。今知ってることが全てだと思うことは超ナンセンスだと思うな。
旬のもんの美味しさの中には体に必要なものが知らず知らずのうちに供給されている。人間も大いなる自然の一部なんやと思い起こされる。

”音の中身”2003.4.28

 

昨晩は僕のソロのライヴだった。”CX AUDIO IE”というアーティスト名での演奏。京都の”メトロ”でやった。
ドイツからカリスマドラマー、元CANのヤキ・リーベツァイトをフューチャリングしたエレクトロニック・タブバンドのバーント・フリードマンの来日公演でのオファーだった。
CANは学生の頃聴きまくったジャーマンプログレッシブの雄、そして当時、ヤキのかわいたドラムサウンドにいつもトリップしたものだった…。昨晩、ステージ横で見る60過ぎのヤキは、一打一打まるで少年の様にドラムをたたいていた。草原でころがっている空き缶をひろい集めてたたいているかのような初期微動の一瞬の連続のような一時間半だった。一打一打”ただ”叩く喜びがタッ…タッ…とかわいた音と共に伝わってきた。

”緑”2003.4.24

 

今朝もまた雨だった。このところ降り続いている雨が非常に心地よい。
何よりもだる満の窓から見える疎水沿いや、岡崎公園の新緑がとてもとてもキレイだからだ。
雨が降る度、明るい緑の明度、鮮度が増し、発色して輝いているようにも見える。特に生い茂っている所の、普段は陰でただ暗いだけの所の緑が発色して、全体が緑の濃淡だけのコントラストでそれが格別のキレイさだ。
そんな緑を眺めながら、雨のミスト状の空気を鼻から吸い込むと永遠の4月24日の匂いがした。
唯一である事を感じた時は、とても深遠な心地よさが伴う。

”冬の匂い、春の香り”2003.4.23

 

ある日突然、匂う時ってありませんか?あっ!…冬の匂い!冬だ…冬は匂う。ん…!…春の香り!…春になった!!…春は香り。季節の変わり目はある日突然やってきて、匂ったり香ったりして。そして“四季”ではくくられていないその日の匂いがする。そんな時たまに思う。これは季節の香りなのだろうか?それとも自分の鼻の穴の匂いなのではないだろうか?