店舗案内
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ご挨拶
だる満のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
当店は京都にある飲食店です。お出汁にこだわった創作麺や丼、その時々で仕入れたお野菜で変わる旬のメニューなど様々なメニューをお楽しみいただけます。平安神宮からのアクセスがしやすく、他の観光スポットも周りにたくさんございます。
お近くにいらっしゃった際は、お昼ご飯やお茶をしに是非お気軽にお立ち寄りください。おつまみとともに軽く一杯、といった方にもお楽しみいただけます。
皆様のご来店を心よりお待ちしております。
店舗概要
店舗名 | だる満 |
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所在地 | 〒606-8342 京都府京都市左京区岡崎最勝寺町8-4 |
電話番号 | 075-751-1123 |
FAX番号 | 075-751-1105 |
営業時間 | 平日 11:00~15:00(LO14:30) 土・日曜日、祝日 11:00~15:30(LO15:00) ※近くでイベント開催時には営業時間の延長あり |
定休日 | 月曜日、不定休(お知らせをご確認ください) |
席数 | 1階36席、2階28席 |
喫煙 | 全席禁煙 |
お支払方法 | 現金のみ |
駐車場 | 無し ※近くのコインパーキングなどをご利用ください |
京都市営地下鉄東西線 東山駅より徒歩10分
市バス 岡崎公園[ロームシアター]バス停より徒歩3分
先代(二代目)の語るだる満の歴史
だる満と云う名の謂れ 「母の一大決心」
南禅寺御用達の石材業をやっていた父、恒吉郎は、地元では指折りの土地持ちであった。父は庭師でもあったが、かなりの風流人で、お茶人さんでもあった。
あの頃、父は常に南禅寺の慈氏院(通称 だるま堂)に出入りしていた。ここには、管長になられるお方が老師をしながら、お住居されるお寺であったと思う。そこに柴山寒松老師と呼ばれる素晴らしいお方がおられた。父はその老師さんを特別に尊敬しており、そしてぞっこんであった。管長になられた後も、お忍びで我が家に来てくださり、私も大変ご慈愛をいただいたものだ。
終戦直後の何もなかった頃も、父は私たちの生活のことより、だるま堂に入り浸って、雲水さんを相手に、作庭を楽しんでいた。また、生活に苦しかった大住さんといお公家さんを寺に呼び、茶の湯の先生として、生徒も集め、茶の道を楽しんでいた。父は、特に可愛がっていた私の妹にここで茶道を習わせた。だが、いくら土地持ちといえども、現世離れの父。生活の大変さを感じていた母は、6人の子どもを育てるために一大決心をして、今のこのだる満を開業した。
だる満と云う名の謂れ 「だる満」の名付け親
この「だる満」の名は、父が大好きなだるま堂の、なんぼこけても起き上がるだるまさんが由来。
だる満の文字は、私の名を好國と名づけてくれた人が縁起の良い文字を合わせて、店を「だ(変体仮名)る満」と命名してくださった。余談に、私のばか正直な癖は、この好國と云う文字からも来ているようで、そんなことをチラッと聞いたような気がする。
後々、私の大好きな有名な日本画家アーチスト秋野不矩様が「だるま食堂って安っぽい呼び名ね」と云われ、私が即、「じゃあ、『だるまん』ならいかが?」と少し気どって云ってしまった。
その時、秋野画伯は「それならいいわね」と云われ、それからは、命名された字を生かし、そのまんま「だるまん」と読んだ。
この「だ(変体仮名)る満」を良く見ると、「多」の変体仮名に濁点を付けて「だ」と読み、「る」は平仮名で、「満」は楷書なのです。
これらの文字を何とかうまく調和させて、カッコイイ看板文字にならないか…と思い、この店を建て替える時、必死の思いで、私を可愛がってくださっていたある人にお願いしてしまった。
だる満と云う名の謂れ ご縁の看板が教えてくれたこと
私や私の父に良くしてくださっていた方々とのご縁と、私のとっさのひらめきで「だ(旧字体)る満」と店が命名されたものの、看板文字にするには珍しすぎて、考えた挙句、私が以前から可愛がっていただいていた立木山の法上様に「何とかならないか」と、看板文字の製作をお願いしてしまった。
「あんまり、つぶしたら読みづらいから適度なのを…」と、無理散々申し上げて、北上様も大変お困りのようだったが、飄々とした良いお人柄で、もう90歳に近いお年なのに、それからしばらくして「どうしてもできないが、この習作で勘弁してくれるか」と、何枚もの習作と、ご自分の感じられた時に書かれた大切な墨跡とともに丸めて手渡ししてくださった。私はその時、とんでもないことをお願いしていた申し訳なさと嬉しさにただただ手を合わした。
このご縁も、思えば父が立木山の総代をさせていただいていたお陰だった。そういえば私も、正月には立木山の受付でお手伝いをさせてもらい楽しんだのを覚えている。
この看板を上げたときから、自分の心の中にあった「儲けりゃいい」が無くなった。上品に、恥ずかしくない商売をして、どこまでも美味しさを追求し、喜んでもらえる店に、と思い続けるようになった。